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ホラーゲーム

※この文章は2020年8月に共同通信で配信された芥川龍之介賞受賞記念エッセイです。

 

部屋の明かりを消し、月に160時間くらいホラーゲームのプレイ動画を見ていた時期がある。バイオハザード、クロックタワー、零、夜廻、Ib、Five Nights at Freddy’s 、他にも色々。動画によっては、同じものを5回は見た。ゲームの音声を聴きながら眠りにつくこともしばしばだった。

見方によっては、あまりにも非生産的な過ごし方だろう。月に160時間といえば、残業のない会社員が職場で過ごす時間とあまり変わらない。その時間を労働にあてていれば、何十万かの金を稼げたことになる。あるいは、何か有用な資格を取ることもできただろう。が、ホラーゲームを見ていても、金は稼げないし、何のスキルも身につかない。面白いから、それだけで時間を使う理由としては十分だが、何かの役に立つような経験とは言えない。

しかし、小説を書いていると話は違ってくる。2018年に、主人公の大学生が、暗い部屋でひたすらホラーゲームをするだけの小説を書いた。「浮遊」というタイトルだった。ゲームの中では、ナイトプールで幽霊と喋ったり、図書館や病院で幽霊に追いかけられたり、色々なイベントが起こる。時には幽霊に殺されて死ぬこともあるが、主人公の現実にはほとんど何も起こらない。時々皮膚科や大学に行き、後は家にいてゲームをしているだけ。私の小説はしばしば「虚無」と言われるが、出版されている二作よりも余程「虚無」だっただろう。月に160時間くらいホラーゲームを見ていたわけだから、取材はいらなかった。ホラーゲームのことならいくらでも書けそうだった。どちらかといえば、書きすぎないように意識してブレーキをかけなくてはいけなかった。

その小説を出版社の新人賞に送ってみると、1700作以上の応募があった中で、最後の10作くらいまで残った。その出版社には、今でもその小説を覚えてくれている人がいる。あれは変な小説だったね、と何かの折に言われたりもする。

小説の良いところは、どんな経験も役に立つところだと思う。ゲームや漫画、コントや漫才、ニュース、知人との会話、すべてが小説になり得る。どこにも行かず、食って寝るだけの生活を送っていたとしても、食って寝るだけの生活を書くのが上手くなるだろう。ほとんどいつでもどこでも書けるから、無駄な時間もなくなる。5分あれば、何かしら進めることができる。できればパソコンがあったほうがいいが、スマートホンでも書ける。何も持っていなかったとしても、頭の中でいつまでもストーリーを考えていられる。

いつかまた、暗い部屋でホラーゲームをするだけの小説を書いてみたいと思う。同じ題材でも、今書けばずっと面白くなるだろう。