サイトへ戻る

奇妙な風習

※この文章は2020年8月に毎日新聞に掲載された芥川龍之介賞受賞記念エッセイです。

 

芥川賞候補になると、結果発表の日に、出版社が待ち会というものを開いてくれる。その名の通り、結果の連絡を待つだけの会。忙しい大人たちが集まって、ただ私のスマートホンが鳴るのを待つ。私が本を出したのは河出書房新社だが、待ち会の開催はこの出版社に限ったものではなく、広く行われているという。奇妙な風習だと思う。受賞ならまだいいが、受賞しなかったら、けっこう気まずいんじゃないか。それに、待ち会に行かなければ、その時間を利用して原稿を書くことができる。待ち会に行けば、原稿を書いているわけにはいかないだろう。目の前に人がいるのに原稿を書いていたら失礼だ。そんなことをするわけにはいかない。待ち会を辞退することも考えた。

ケーキを用意してくれるというから、行くことにした。レモンのケーキで、どこのものか聞いたのに忘れてしまったが、とてもおいしかった。何もせずに電話を待っているのはさすがに気詰まりだから、NETFLIXの「呪怨」を見ましょうと提案した。TwitterでSF作家の方が面白いと言っていた気がしたので、前から気になっていた。それに、緊張をほぐすにはそれ以上の緊張をぶつけるのが一番だと知っていた。

編集者が、「サイコだけど大丈夫」という韓国のドラマが面白いと言ったので、それを見ることにした。私はサイコからほど遠く、かなり正常だが、もしサイコだとしても大丈夫だと言ってもらえているようで、安心した。良いタイトルだと思った。私がタイトルでドラマを見るかどうかを決定したように、小説もタイトル次第で読んでもらえたりもらえなかったりするのだろう。今までも十分気を使ってきたが、タイトルの重要性を改めて感じた。

電話をかけてきた日本文学振興会の人は、良くない知らせを告げる時の声をしていて、てっきり落ちたものと思った。もともと、自分は本命ではない、きっと高山羽根子さんだろう、と思っていたから、驚きはない。しかし、話を聞くと受賞だという。では、もう少し明るいトーンで、と思った。が、落選なのに明るいトーンでかけてくるよりはずっと良い。

タクシーに乗り、車内で電話取材を一つ受けた。どこのホテルだったか忘れてしまったが、受賞が決まるとそこへ行って会見をし、色々と質問に答えないといけない。私のほうに、言いたいことなど何もない。これまでもなかったし、これからもないだろう。が、会見は受賞者の義務に近いという。記者のほうも、いかにも聞きたくて聞いているわけではないという様子だったが、仕事だから聞かないといけない。

家族に受賞を知らせたかという質問があり、まだ伝えていないと言ったら、なぜか笑いが起きたが、よくわからない。家族に伝えるなんて、考えもしなかった。普通、伝えるのだろうか。笑ったのは、私が普通ではないからか。だとしたら、少し失礼だと思う。それとも、私が冗談を言っていると思って、愛想笑いをしてくれたのか。だとしたら、優しいと思う。今思い返しても、別に家族に伝える必要があったとは思えない。興味があれば、テレビやニコニコ動画を見ているだろうし、テレビやニコニコ動画を見ていれば、すぐにわかることだ。